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亜州茶亭へようこそ

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ニーハオ北京!宋慶齢故居で。

中国、清王朝を倒した辛亥革命(1911年)のリーダーは孫文。
この方は、国家の枠を超えて尊敬を受けている。あちこちに、中山なんとか、という通りの名前があるが、この中山、孫文の別名である。そして、蒋介石の別名が中正。台北中正機場は、蒋介石空港、というわけ。

宋慶は、上海の資産家の娘で、アメリカに留学したひと。孫文の秘書から、夫人になった。
ふたりの結婚式は、孫文の亡命先の日本であげられている。(当時、孫文の革命運動を支援していた日本人は少なくない。その気概を、日本人としてうれしく思う。)

そして、慶齢の妹美齢は、国民党の蒋介石夫人である。

清朝を倒したところまでは協力体制にあった孫文と蒋介石。しかし、孫文は共産党との協力方針をとる。孫文の死後、彼の意志を継いで共産党と手を組んだ慶齢。蒋介石、美齢夫妻とは目指すところを違えるようになる。

第二次大戦後、国民党と共産党の内戦を経て中華人民共和国が成立。宋慶齢は功労者として国家副主席となった。そして、妹宋美齢と蒋介石は台湾に逃げ出す。

ここは、宋慶齢が晩年をすごした邸宅。旧城内の一角。後海という美しい池に臨んでいる。もともとは、清朝末期の皇族醇親王の屋敷で、ラストエンペラー溥儀(醇親王の子)はここで生まれた。

典型的な、清朝貴族の邸宅。綺麗に手入れされた庭を囲むように、何棟もの建物が立ち並ぶ。

各部屋には、写真や資料が展示されている。英語のキャプションもあるので、だいたいのことはわかる。彼女自身が使っていた家具や小物類。決して華美ではない。

1981年に亡くなる直前、名誉国家主席の称号が、彼女に贈られた。
ひたすら理想を追求し続け、世界の平和活動や子供たちのためにも力を尽くした宋慶齢。国からも、こうして名誉を讃えられ、手厚く遇されている。

しかし、実の妹宋美齢とは、ついに再会することができなかった。


宋慶齢故居

北京市西城区後海北沿46号

地下鉄「積水潭」駅下車徒歩十数分

入場料  8元

開館   9:00~16:00  月曜休み

soukeireikyuutaku


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